独話的対話

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テストと大会

僕は基本的に競争が嫌いだ。

そのいちばんの理由は、本来の目的、目標を見失いやすいからだ。
アンダーマイニング効果とも違うだろうが、勝つことが目標になると、それを「楽しむ」という最も重要な部分が置き去りにされてしまう。競争のメリットは成長であり、成長以外にはほとんどないと思うが、大前提として成長は促進するものであって強制するものではないはずだ。そもそも強制されているということは大して意欲がないということで、本人の意欲なしに「よい成長」は望めない。
最初に「本来の目的、目標」という言い方をしたが、少なくとも人生においては、目的も目標もないと考えている。だから、why(なぜそれをするのか=目的や目標)を考えるより、how(どのようにそれをするのか=楽しむ)のほうが重要であり、もっと楽しむことについて考えるべきだ。別の言い方をすれば、「結果」のために努力しても、そもそも人生に「結果」など存在しないのだから、その努力という「過程」が大切であり、人生の全てだ、ということだ。

そして本題、僕が言いたいのは、学校教育で競争を強制しすぎじゃないか、ということだ。
中学、高校を形成している主な要素は、勉強と部活だ。行事もあるが、行事ごとに細かい傾向が異なるため、ここでは割愛する。なお、部活も体育会系部活を想定している。その理由も割愛。
そして、勉強と部活、それぞれに「目標らしきもの」が定められている。テストと大会だ。
勉強は、知識の蓄積から見えてきたつながりや、論理的に考えることを「楽しむ」ものであり、部活(スポーツ)は体を動かしたり、上達するのを「楽しむ」ものである。大人で勉強したり、スポーツをしている人をイメージしてもらえれば分かりやすいと思う。
なのに、現実はどうだろう。ひとつひとつの授業こそ大切にすべきはずなのに、テストの点ばかり強調されている。テストは授業の内容が定着しているかの確認であるべきなのに、そこに順位という競争的な要素が表示されている。大学入試なんて日本中との競争だ。それで、この「競争」によって成長したものは、果たして何なのだろうか。以前、企業の人事の方にお話を伺ったとき、「出身大学は、その人が入試という目標に向け、どれほど計画を立てて実行できるかをある程度示す指標としては、それなりに有効である」とおっしゃっていたが、これもかなり怪しいと感じている。今や多くの受験生は塾や予備校に通い、学習のペースを決めてもらっているからだ。これでは、成長するのは試験を突破するテクニックと、5教科の知識だけになってしまう。
部活もだ。純粋に運動を楽しめる部活が日本にどれほどあるのだろう。学校にもよるだろうが、ほとんどの運動部は大会で勝つために厳しい練習を課しているのではないだろうか。ここでも、何が成長するのか考えてみよう。その種目の技術に加え、例えば「諦めない精神、継続すること、礼儀やマナー」などが挙げられるだろう。確かに、これ自体は全く悪いことではなく、むしろ良いことだ。しかし、これらは日本の構造と噛み合い、企業のひとつの歯車のような存在、俗にいう「社畜」になるためのトレーニングと化している。それぞれ、「残業しても仕事をやりきる精神、会社を辞めないこと、目上の人に逆らわないこと」と一致していないだろうか?

そうではなくて、僕がやりたいと思うのは、楽しい勉強や楽しい部活だ。勉強と部活で事情がやや異なるため、分けて話そう。部活は、プロを目指す人や、そうでなくても本気で取り組みたい人はそうすればいいし、単に楽しみたいという人はそうすればいい。そうすると人数が足りなくなる、というなら、学校はプロ養成機関ではないのだから、「楽しめる」ほうの部活のみ擁立すればいい。
勉強に関しては、もはや競争は必要ない、とまで言えるかもしれない。競争がモチベーションになっている側面もあり、そこから発展して学問の楽しさに気付くケースもあるだろうが、それよりもテストの点だけに拘ってしまうケースのほうがはるかに多いと思われる。僕自身、高3のときに授業を楽しもうという気は起こらなかった。

それでは、具体的にどうすればよいのだろうか。勉強は、今の大学入試制度、ひいては大学制度そのもの(もしくは就活制度)を変えていかないと、そこを目標とする中高の学習スタイルも変わらないだろう。「大卒」という肩書に権威がありすぎることが問題にも思われるし、そもそも企業が歯車的な人間を必要としているうちにはこの改革は難しいかもしれない。
部活は、大会の廃止もしくは縮小、これがいちばん手っ取り早いとは思う。実行するのはとても困難だが、そもそも部活における競争をなくしてしまえばいい。本気で頑張りたければクラブチームがあるし、金銭的に無理!と言われても学校の役目は教科教育や生活指導だ、それは「仕方がない」というほかないのではなかろうか。

そしてもうひとつ言いたいのは、競争により子どもたちは疲弊し、余裕を失っている、ということだ。
今の中高生は、僕もそうだったが、多忙である。朝7時前に家を出て朝練をし、学校が終われば部活、そのまま塾へ行き、帰ってきてご飯と風呂と、スマホを触って寝るのは23時を回ってもおかしくない。ちょうどいいデータが見当たらなかったが、日本の中学生の平均睡眠時間は7時間ちょい、高校生は6時間未満のようだ。それに対し、アメリカの国立睡眠財団の調査(2015)によると、14~17歳で8~10時間、18~25歳で7~9時間が適切らしい(睡眠については後日詳しくまとめる)。そもそも身体的に余裕がない上に、学校生活の大きな部分を占める勉強と部活、どちらも競争に追われていては、楽しみようもないではないか。さらに言うと、余裕がないと周りを見渡せない。選択肢が広がらず、これからの社会に必要な「創造的」な人材が育成されない、という地味にでかいデメリットもある。

競争というと、例えばテレビに見られる安易なクイズ形式なども、視聴者の一時的な幸福感を満たすだけだからやめろ、と思うのだが、これ以上書くと愚痴になりそうなのでここで筆をおく。