独話的対話

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代理出産について

どうしてもこれだけは広めたかった、というか、色んな人に知ってほしかったのだ。「応用倫理学」という分野があるが、ご存知だろうか?
現在、科学技術の発展によって、たくさんのことができるようになっている。また、特に近代以降、民衆でも様々な権利を主張するようになってきている。しかし、(ココ重要→)できること=やってよいことではない。例えば、それは生殖医療であり、安楽死尊厳死であり、人工食糧であり、宇宙問題などである。
そして、技術が加速度的に発展する中、その対応が追いついていない、もしくは追いつく見通しがない。今まで人類は何百、何千年もかけて倫理や道徳を生み出してきたが、今やそれが数年単位で更新されるかの勢いなわけだ。
こういった問題に結論を出すことは非常に難しい。むしろ不可能、と認識したほうが正しいかもしれない。だからこそ大切なのは、各々が自分の頭で考え、それを議論し、お互いの意見を認め合い、ベターな案を実行していく、という、地道で気の晴れない作業を繰り返すほかない、と考えている。

とまあ言ったわけだが、多分想像もつきづらいと思うし、僕も初めはあまりうまくイメージできてなかったので、代理出産について書いたレポートがあるため、それを下に転記する。(代理出産を全部説明するのは大変なので、知らない人は軽くググってね!)自分なりに現状をまとめたつもりなので、こういった問題が他にも山ほどあるんだぜっていうことを認識していただければ幸いである。


補足1:ベイビーM事件[ベビーM事件]
アメリカで起こった、代理出産絡みの事件。
代理母依頼人に引き渡すはずの子を生んだあと、愛着が想像以上に湧いてしまい、子を連れ去って逃亡した。依頼人が裁判を起こし、最終的に親権と訪問権が代理母に認められたものの、養育権は依頼人が握った。

補足2:人工授精と体外受精
以前は、女性の子宮に精液を直接注入する人工授精が行われていたが、技術の進歩により、現在は女性の卵子を取り出し、精子と受精後、受精卵を培養させたものを子宮内に移植する、という体外受精が主流である。



代理出産は認められるべきか
松浦信

(1)倫理的問題や倫理的に懸念される事項
 世界で初めて代理出産が行われたのは1976年のアメリカにおいてであったが、以来様々な点において問題が噴出しており、日本では明確な法整備もなされずに今に至る。まず、倫理的問題をいくつかのトピックに分類する。

A.人間は科学技術によってどこまで生命・生殖に関与してよいのか
 これは代理出産に限らず、全ての生殖補助医療技術に投げかけられるべき問いである。人間は特に近代以降、理論に則った技術によって、多くの病気に治療法を見出してきた。しかし、「不妊とは、身体レベルで病気とはいえないのではないだろうか」(盛永審一郎、1995:10)。つまり、不妊というのは身体的危険を伴う類のものではなく、あくまで患者の精神的苦痛を生むものであるにすぎない、ということだ。すると、「このことは、自分の治療のために、他人を手段にしていることにならないのだろうか」(盛永、1995:10)。このような生殖医療の動きが加速すれば、人々の倫理観にも影響が出てくるかもしれない。

B.人間の感情・倫理観との摩擦による精神的負担
 ベイビーM事件に代表されるように、代理母にとって、自分が腹を痛めて産んだ子を素直に引き渡すことは難しいだろう。それは、旧来の人工授精を用いても、後に開発された体外受精を用いても同じことである。また、代理母だけでなく、代理母の家族、依頼人、担当医師・看護師、斡旋業者、その他周囲の人々は、今まで培ってきた、もしかすると人間としての本能的な倫理観との摩擦に苦しむだろう。さらに、小笠原信之は、体外受精時に保存していた胚が、(場合によっては知らされずに)余剰胚として処分されたり、研究用に回されたりしている現状を指摘している(2005:48f)。

C.代理母、胎児、卵子を提供する女性の身体的負担
 大野和基によると、体外受精を用いて代理出産を行うとき、代理母に大量の黄体ホルモンが投与される。これは人によってはかなり深刻な副作用があり、歩けなくなることもあるという(2009:105)。また、複数の受精卵を子宮に移すため、多胎妊娠になりやすい(2009:92)。さらに、卵子を採取するために服用する排卵誘発剤の副作用によって、卵巣過剰刺激症候群を発症する可能性も低くない(2009:88)。特に代理母や胎児は命の危険にさらされることもあり、生命を生み出すために生命を犠牲にするというリスクを背負っている。

D.依頼人の経済的負担
 代理出産は非常に高額なため、裕福な人でないと利用しづらい。大野が代理母斡旋業者のノエル・キーンに取材したところ、「クライアントの少なくとも六〇%弁護士や医師など、裕福な階層だ」(大野、2009:79)ということだ。つまり、逆に言えば貧しい人は代理出産という選択肢を選べないということである。代理出産依頼人の権利であるならば、その権利は国などが保障するに値するのかの議論も深まっていないだろう。

E.商業化の危険性
 現時点で、世界で一般的な代理出産には、それなりの報酬が伴う。名目上は代理母に対する労働の対価だが、これは赤ちゃんの売買に当たらないのだろうか。また、商業化が進めば、当然資本主義原理に則って、斡旋業者は「安い」代理母と「高い」依頼人の契約を積極的に取り持ち、そこに搾取の構造が生まれるだろう。しかし、生活の苦しい人々にとって、一度の妊娠で「年収の六~八倍に相当する」(大野、2009:166)収入は十分すぎるほどであり、この構造が崩れにくい要因となっている。

F.代理母・胎児の人権問題
 法整備が完全に進んでいない現在、問題が起こったときにその人権が侵害されうるのは、立場の低い人であり、ここでは代理母や胎児がそれに当たる。Eで述べた商業化の影響もあり、代理母は替えの利く「モノ」扱いされてしまう恐れがある。また、胎児が障碍や先天性疾患を患っていた場合、依頼者が引き取りを拒否し、生まれたときから身寄りがないという子どもの事例も存在する。さらに、親という存在は子どものアイデンティティ形成において重要な役割を果たす。日本では、厚生労働省の厚生科学審議会生殖補助医療部会が、2003年に子どもの「出自を知る権利」として情報開示請求を認める最終報告を出しているが、「他人から卵子精子の提供を受けて生まれた子どもは、自分の出自に深刻な混乱をきたしていないだろうか」(大野、2009:132)。キリスト教国においては、受精の瞬間から人と見なす教義に則って、大きな論争が起こっている。

G.本来の目的と異なる用途で技術が利用される問題
 代理出産はAで述べたように、あくまで不妊の人のためのものであったが、ゲイやレズビアンカップルも利用するなど、生殖の域を越えつつある。また、このような事例もある。「事件は、日本の大企業の息子(当時24歳)が、タイで大勢の子供を代理母を通してつくっていたことが発覚したことだ。周囲には、『毎年10~15人は子供がほしい。将来的には100人から1000人をつくるつもりだ』と語っていたという」(石井光太:2017)。これを一夫多妻制と捉えれば、歴史上に数多の事例があるが、代理出産という技術を利用して行ってもよいことなのだろうか。

(2)自身が将来的にどのように対処したいと考えるか
 上記のように、世界中で諸問題が見られるが、特に日本に焦点を当てて意見を述べる。

1. 背景と現状
世界でも同様だが、特に日本での問題は、法整備の不足である。(1)Fで述べたように、代理出産においては代理母や胎児が構造的に弱者になりやすい。日本で唯一、公表して代理出産を実践している根津八紘医師も、大野からの取材に対し、「公にしていないなかで代理母が妊娠中に亡くなるとか、障害児が生まれてきて、引き取りを拒否されるという出来事が起きたら、誰が責任を持つことになるのか」(大野、2009:187)と早急な法整備を唱えている。厚生科学審議会生殖補助医療部会は2003年に代理出産の禁止を提言し、前述の根津も日本産婦人科学会に除名されたが、「むしろ学会の会告の『しばり』から解放されるという矛盾」(小笠原、2005:31)もある。2014年には自民党が生殖補助医療に関する法案作成を進めていたが、法制化には至らなかった。

2. 倫理的問題
(1)A~Gが該当する。

3. 自身の立場と見解
私は、まず代理出産を安易に規制すべきではないと考える。その理由として、単に法で禁止するだけであれば、規制に引っかからないように闇取引が行われ、代理母や胎児の人権がさらに失われてしまう可能性が非常に大きいからだ。すでに技術が開発されてしまった以上、それを食いとどめることは非常に難しい。よって、私は、代理出産は認可しつつも、金銭取引を禁止し、基本的に親族間で行う場合のみ認めるべきだと考える。もちろん、親族間だからと言って人権問題がなくなるわけではないだろうし、むしろ家族関係が壊れてしまう可能性もある。その可能性は、綿密なインフォームド・コンセントや適切なフィードバックを繰り返していく以外には潰せないだろう。しかし、繰り返すが、現状を放置すれば人権が侵害されるのは代理母であり、胎児である。まずこの問題を食い止めねばならない。
そのために、一刻も早い法制化や、国家を挙げての支援も必要だ。法案を提出することだけでも、世論を巻き起こすという重要な意義がある。今まで積み重ねてきた議論をもって、国家としてやってよいこと、よくないことを明確にすべきだ。

4. 結語
今回は日本に焦点を当て、部分的な代理出産を認可する法の整備が必要、と結論付けたが、海外に視点を移すと文化や経済の違いが生じるため、一概には言えないだろう。また、今回は大きく取り上げなかったが、国民意識の形成も重要な課題となってくるはずだ。より多くの国民が、禁止を主張しようと認可を主張しようと、この問題に真摯に向き合うことが求められている。
参考文献一覧

長島隆・盛永審一郎編(2001)『生命医学と生命倫理』(生命倫理コロッキウム1)太陽出版
小笠原信之(2005)『どう考える?生殖医療―体外受精から代理出産受精卵診断まで』緑風出版
大野和基(2009)『代理出産―生殖ビジネスと命の尊厳』集英社新書
石田光太(2017)『ダウン症の子を受け取り拒否…問題はらむ「代理出産」ビジネスhttp://gendai.ismedia.jp/article/-/52133最終アクセス2018年8月7日
厚生労働省・厚生科学審議会生殖補助医療部会(2003)『「精子卵子・胚の提供等による生殖補助医療制度の整備に関する報告書」について』https://www.mhlw.go.jp/shingi/2003/04/s0428-5.html最終アクセス2018年8月7日