独話的対話

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令和になりましたが?

 

 とりあえずこのツイートから。

 このツイートどうこうはここでは書かないが、「令和になっても平成から1日2日が経過しただけやし、本質的に何も変わってはいない」という認識を前提として、より抽象的?メタ的?に書かせていただく。何の話かというと、「節目」の話だ。

 

 人間は節目が大好きだ。誕生日には祝ってケーキを食べるし、母の日には日頃の感謝を込めてカーネーションを贈るし、年末には「20××年の総集編!」みたいなのを放送する。でも、誕生日になったから何かが突然変わるわけではない(飲酒できるとか免許取れるとかは置いときます)し、カーネーションも感謝もいつだって贈ればいいし、総集編を見る人がいるから放送されるのだ。何も「その日」でなくてもいい。でも、この「節目」の「分かりやすさ」が重要なんだろう、と思う。

 極端な例でいうと、例えばサイコロを3回振って、3回とも6の目が出たとする。すごい!と思うかもしれない。なんせ1/216の確率だ。しかし、例えば「2,5,3」の順に目が出る確率も1/216だ。でも、どう考えても「6,6,6」のほうが珍しく思える。これは恐らくだが、学術的に見ても人間はそういうふうにできているのではないだろうか。キリの良さ、すっきりとしたさまが人間に安心感、快感を与えるのは、人間が進化の過程で得たものでは?という、ちゃんと勉強しておけばこれに答えられるのだろうけども。

 しかし面倒なことに、上に述べたように節目に頼ればいいわけではない。できることなら毎日を祝福したい(毎日ケーキは無理かもだが)し、できるだけいつも感謝するほうが色んな意味でいいだろうし、過去は常に振り返って糧とし、あとは前を向けばいいだろうからだ。でも、それってめちゃくちゃ大変だ。目指すべきかもだけど、まあ僕も当然できない。なぜって、「節目がない」ために「分かりにくい」からだ。お正月になれば、「そういう機会」があるから、今年1年の目標を立てられる。でも、ある日突然「今年の目標は何ですか?」と訊かれたら戸惑うだろう。人間は何かをきっかけにしないとなかなか行動できない。でも、目標は日ごとに、いや一瞬一瞬更新されたほうがよりよいと言えるだろう。だから重要なのは、「分かりやすさ」と「分かりにくさ」の往復だ、と考える。

 

 あまり頭も回らないし、単純に書くって難しいですね、続きは次回に回します。