独話的対話

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初めの言葉と教育について

 初めまして、まつうらと申すものです。

今まで考えてきたことを僕なりにアウトプットし、もっと色んなことを考えられるような人間になるため、ブログを開設しました。

初めの言葉に代えて、軽い自己紹介をしたいと思います。

 

僕は今、大学生として文学部に在籍しています。

僕は、中学生のとき、生徒会に入るなどの活動を通して教育へ興味を持ち始めました。しかし、中学の終わり頃から、本当に学校の勉強が必要なのかと疑問に思い始め、高校でその疑念が確信に変わりました。

友人とも話し合い、気づいたことは、「今の日本の教育は、現代社会に適応したものではない」ということです。今回は、そのことについて話したいと思います。

 

みなさんは、今の教育についてどう思うでしょうか?いきなり「現代社会に適応していない」などと言われても、ピンとこない方もいらっしゃるかもしれません。

でも、思い当たる節はあるのではないでしょうか。

例えば、小学校で毎年の長期休みに読書感想文と習字の宿題を課されたり。

例えば、中学校で頭髪や服装について厳しく指導されたり。

例えば、高校で全く興味もないのに数学を学ばされたり。

僕は、これらはすべて無駄であると考えます。その理由は後で述べますが、ではなぜ、このような制約が生徒に課せられてきたのでしょうか。

 

それは、昔、具体的に言うと戦後の昭和時代には、こういった制約が必要だったからです。経済復興のために必要だったのは、上司の言うことを守り、実務的なことをそこそここなす、通知表で「ALL4」を取るような人材でした。日本の高度経済成長期を支えたのは、こういった大量の「ALL4」人材です。

ここでポイントなのは、「ALL5」ではなく「ALL4」のほうが好都合だ、ということです。頭が本当に良い人間が大量にいると、誰も事務作業を役不足だと言ってやりたがりません。少し考えが回らない人のほうが、政府や企業からすると扱いやすいのです。

そして、それを念頭に置いた教育が行われました。つまり、どの科目も平均的にできる生徒を多く輩出するために、「得意を伸ばす」のではなく、「苦手をなくす」ことが主軸に置かれ、美徳となりました。

それと同時に「ALL4」人材に求められる要素があります。それは「我慢」です。

つまらない勉強も、理不尽な上司の要求にも耐え、貧しい暮らしを送る。そんな苦しい思いをするからこそ、成功したときの喜びは大きいのだ、と。苦労せずに成功なんてできっこないし、できてもそれは真の幸福ではない、と。

そしてこの教育は見事に成功し、日本を奇跡的な経済復興に導きました。

 

しかし、社会は常に変化するものであり、戦後の技術発展は加速度的に進んでいます。圧倒的な事務・計算能力を誇る、スーパーマンが開発されました。言うまでもなく、それはコンピュータです。

このコンピュータこそが、今の日本の教育と現代社会のズレの根本原因だと考えられます。

今の社会には、コンピュータが煩雑な事務作業も処理してくれるので、「ALL4」の人材も、我慢のできる人材も、あまり必要とされていないのです。もちろん、最低限のマナーを守る、といった我慢は必要ですし、「ALL4」の生徒を否定するわけではありません。しかし、今の教育が向かうべき方向は、もっと多様で、やりたいことを自由にする、という方向だと思います。

 

僕は将来、教師として現場からこの問題に立ち向かいたいと思っています。しかし、何から手を付ければいいのか、どうすれば他の教員や保護者からの理解が得られるのか、そして、僕の考えていることは本当に正しいのか、わからないことは山のようにあります。

しかし、確実に言えることが1つあります。

社会が変われば、教育もそれに合わせて変わるべきです。

日本人は、気質として安住を好むのかもしれません。しかし、そうやって何の対策も打たず、ボロボロになった日本を子ども世代に放り投げるようなことは、僕はしたくありません。

このブログを通して自分が成長し、あわよくば見てくださった方々が何か行動するきっかけとなるならば、これ以上の喜びはありません。