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ロックをもっと面白く──MOTHERCOAT『GOHUM』(2015)

MOTHERCOAT『GOHUM』(2015)

MOTHERCOATとは、既存の発想に囚われない卓越した音楽性を誇る、日本は岐阜のミニマル・ロック・グループである。そして『GOHUM』とは、今年(2026年)で活動24年を迎えるMOTHERCOATが2015年にリリースした唯一のフル・アルバムである*1。10曲・41分。フル・アルバムにしてはやや小ぶりな本作は、しかしどれだけ聴いても色褪せない鮮やかさを今なお保ち続けている。

 

たとえば2曲目「nipple cider」。一聴してキックとスネアを反転させたような耳馴染みのない、しかし小気味よい楽曲だが、よく聴けばギターの不安定なリフの続きを力強いベース・スラップが引き取る、というミニマルな応酬こそがこの曲の要であることに気づく。そうした計算高さを意に介さず突然現れる、ファズ・ギターの温かみある、しかしあまりにシンプルすぎて素っ気ないリフ。それでいてヴォーカルは歌詞のリフレインとギガディラン・トキロック(昨年トキボンと改名)両名の独特な声質(ギガディランは自分の声がどうもコンプレックスらしい*2)が相まって際立つ。バランスの取れている、とも非常にいびつな、とも評価されうるだろう。すべて計算ずくというわけではなかろうとも、これが自分たちがたどり着いたひとつの解──心地よく、そして面白いロック──だ、という確かな自信が彼らの楽曲には満ちている。狂いなく淡々と進んでいく展開は打ち込みを想起させるが、生演奏の映像から彼らの演奏技術の高さが(加えて演奏に対する熱量が)窺える。

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心地よさと面白さを求める彼らの姿勢は──おそらくそれは純粋な童心に近いものだろうと推察されるが──本作をはじめとする彼らの作品群に通底している理念であると言える。
3曲目「KiDman」のBメロ、高音のアルペジオとハミングからサビでダーティーに歪むバッキング・ギター。しかし2Bでは既にそれが予感されているかのごとく、ギターはクランチ気味に刻んでそのときを迎え撃つ。6曲目「ten pura」Aメロは刻むドラムスに明確にパン振りされたギター・リフが乗るが、これも2Aの左右同時に鳴らすギターの重要な伏線だ。そしてラストにはここぞと言わんばかりにリバーヴに振り切ったバッキング・ギターと歪みトレモロのリフが曲を覆いつくす。
彼らの代表曲でもある8曲目「fake a fake」では、大仰なオーケストラ・ヒットを挟みながらも軽快なギター・リフが楽曲を牽引する。いよいよ2サビという期待感を裏切り、しかし楽曲は突如ジャズ調のテーマに切り替わるが、それはラウンジかカクテルバーを思わせるような安直な、「fake」の香りが漂うジャズ・ギターだ。「fake you…」のつぶやきとともに戻ってきたイントロには、深く歪んだコーラス音色の単音ソロが加わり、どことなく荘厳な雰囲気を醸し出す。大胆にもほどがある展開の作り方であろう(MVも意味不明である。しかしMVに意味などなくてよいのだから、かえってよいMVだと言うべきなのかもしれない。ぜひ一度ご覧いただきたい)。

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本作の楽曲はリフのキャッチーさも群を抜いている。イントロがいきなりリフから始まる曲、リフが変奏されつつも常に存在感を示している曲が大半を占めるのだ。「fake a fake」のスケール・チェンジしてゆくリフのほかに、10曲目「waltzheimer」の力強いシンセ・リフが代表に挙げられる。
口ずさめないような複雑なリフというのもひとつの特徴だ。1曲目「good bye」は役割を振り分けられた3本のベースが、9曲目「u.n.o」は2本のギターの掛け合いが、それぞれリフを成している。複雑なリフは、しかしキャッチ―であれば何度も繰り返したくなる。自分の内に確固たるものとしてとらえて、整理しておきたくなる。それが掴めたと思ったころには、曲は次の展開を迎えるのだ。
4曲目「miscync」のマイナー調のシンセ・リフや5曲目「poacher」の陰鬱なギター・アルペジオも楽曲の不穏さを増幅させており、まさにリフレインであることが意味を成している。アルバムを通して聴けばほどよいテンションで聴けるようになっていることも感じられる。

もちろん音へのこだわりも随所に見られる。「KiDman」の歪みとクリーンのミックス、「waltzheimer」のシンセ・リフの打鍵音。7曲目「mackerelger」はイントロの湿っぽいコーラス・ギターもさることながら、イントロのトコトコというクリック音やサビ前~サビのカウベルといったパーカッションもよく機能している。もちろん前述した「ten pura」や「fake a fake」の終盤の歪みも隠し玉にしておくにはもったいないほどだ(もちろん、だからこそ隠し玉なのだろうが)。

MOTHERCOATは複雑なビートやミニマルな構成、変拍子をも厭わない音楽観などからマス・ロックに位置づけられることが多く、私もそれについて概ね異論はない。しかし、多くのマス・ロック・バンドと異なり、MOTHERCOATはそもそもバンド・サウンドに全面的に依拠しているわけではない。もっと端的に言えば、彼らに似ているアーティストというのはちょっと思いつかないのではなかろうか。楽曲について、ギガディランは「ギターのリフから入るときもあるし、ビートだけが先に決まってる時もあるし、僕の弾き語りから広げていく時もある」*3と語っているが、その自由闊達さから生まれた本作もまた、マス・ロックというジャンルをさらに拡張しうるものであるはずだ。

 

私が彼らの新たなフル・アルバムを待ち望むひとりのファンであることは、ここまで本レヴューをお読みになった諸氏にはおわかりのことであろうが、残念ながら本アルバム以降、EPやミニ・アルバムを含めアルバムのリリースはない。本作のリリース後、メンバーの脱退等が相次いだMOTHERCOATは一度、活動凍結にまで陥る。その後、彼らは2020年に活動を再開するが、私が大阪まで彼らのライヴを観に行ったのもその少しあとだったように記憶している。ギガディランとトキロックの2人体制のライヴ。正直に言えば、そのライヴは味気なかった。アルバム収録曲が1曲も演奏されなかっただけではない。音源に詰め込まれたスリリングさも、絶妙に組み上げられたアンサンブルも、生演奏の熱量さえも感じられなかった。今だからわかる。彼らのどこか実験的な、模索的なそのライヴは、比喩ではなく本当に模索の過程にあったものだったのだと。同期音源を用いて過去の楽曲を再演することに価値を見出すのではなく、2人でしかできない新たな楽曲で新たな表現を探ることこそがやるべきことだと心得ていたのだと。

ライヴ後、本作を含め心から愛していたはずの彼らの作品群を聴く機会は減ってしまった。私は音源志向の人間ではあるが、軽音楽部で会得した「ライヴがよくてナンボ」という価値観は簡単に捨てられるものではない。しかし改めて本レヴューを書き上げてみて、彼らはけっして燃え尽きたわけでも枯れ果ててしまったわけではないはずだ、と結論を下すに至る。ライヴへ行こう。きっとMOTHERCOATはまだ面白い、今までなかったものを探し続けている。

*1:本作『GOHUM』(ゴハン)はアナログ7inchレコードもしくはバンドTシャツ『OQUZ』(オカズ)とセットでリリースされるという形態がとられている。また、Apple Musicでは他に『インターホン』『ママ・マナー』『+birdless』『パッチワーク_式』『egobag』『Allergies』のアルバム・EPを確認できるが、曲の被りや収録時間の短さ、公式HPの「満を持したフルアルバム「OQUZ」」などの記述からも、本作は現時点で彼らの唯一のフル・アルバムと位置づけられる。https://www.mothercoat.com/pages/3050388/page_201907071615

*2:https://skream.jp/interview/2015/09/mothercoat_2.php

*3:https://ototoy.jp/feature/20120823